●プロローグ
それは、
もしかしたらあり得たかもしれない
物語。
星から生まれ落ちた神さまと。
太陽を作りたいと願う少年少女の。
ライヴがもたらす、邂逅のストーリー。
●1幕 〈メアたんサイド〉
今、陽が落ちた。
空は曇っていた。
雲雀ヶ崎の展望台に構える展望室。
今となっては指定席のようになっている、その部屋の欄干に座りながら、メアは星のない夜空を見上げている。
「メア」
足音が聞こえてから間もなくして、声がした。大切な人の声。
小河坂洋が、歩み寄っている。
振り向かずとも、声だけでわかる。きっと、足音だけでもわかったはずだ。
「メアは、今夜も星見か」洋は隣に立ち、欄干に肘を乗せて、メアと同じように曇った夜空を見上げた。
「でも……星は見えない」メアは残念そうにつぶやいた。
「雲に隠れていても、星の光はちゃんと届いてる。人間の目では見えないだけで」洋は、子守唄でも歌うような優しい口調で語る。
「たとえば、鳥や蝶は紫外線が見える目を持っている。蛇なんか、熱が見えるそうだ。サーモグラフィカメラみたいにしてな」頭でっかちな彼なので、話す内容は小難しいことが多い。
よく理解ができないメアだけど、嫌な気分にはならない。
メアは、彼の声が耳に触れるだけで、心地よくなれるのだから。
「星の神さまのおまえなら、たとえ昼間でも星見ができるんじゃないか?」
「……がんばれば、できるかも。でも、疲れるから嫌」
「そっか。おまえは、太陽が苦手なんだもんな」
メアは基本、昼に眠り、夕方から朝方にかけて起きている。
昼間は太陽の光が強すぎて、星神であるメアは姿を維持するのが大変だからだ。
「じゃあ、明日は……」洋は、二の句を呑み込んだ。
メアは不思議に思い、小首をかしげて言葉の続きを待った。
「……えっと。明日、おまえをミルキーウェイに招待したいって話があってな」
ミルキーウェイというのは、天クルの部長を務める南星明日歩がウェイトレスをしている喫茶店のこと。メアも何度かお邪魔したことがある。
人見知りのメアなので、そばにはいつだって洋がついていてくれた。
「そこで、おまえの誕生日パーティーを開きたい。天クルのみんなで祝いたいんだ」
今日は、7月6日。
そして明日は7月7日――七夕。メアの誕生日だ。
今日の曇り空を残念に思っていたのは、明日も同じように曇っていたら、七夕の織姫と彦星を見つけることができないからだ。
雨が降ってしまったら、織姫と彦星が流す涙――洒涙雨(さいるいう)となってしまう。
「天クルのみんなから、誕生日パーティーは昼がいいか夜がいいか、メアに聞いてみて欲しいって頼まれてさ」
人見知りのメアだが、天クルの仲間たちは別だ。
何度も出会ううちに仲良くなり……いや、メアは仲良くしているつもりはないのだけど、少なくとも苦手意識はなくなっている。
だから誕生日パーティーと聞いて、メアの胸は熱くなった。
「メアは、やっぱり夜のほうがいいか?」メアは答える前に、もう一度首をかしげた。
「……洋くんは、昼のほうがいいの?」
「まあ……なんていうか。彼女のことを考えるとな」
彼女と聞いて、きっとあの人のことだろうと思ったメアは、さらに胸を熱くした。
ポカポカと。
「それに、ポカポカのほうも問題なんだ」
……今のわたしはポカポカしてるけど、しないほうがよかったってこと?
メアは混乱してしまう。
「実はな、七夕の2日後……7月9日に、ポカポカってパフォーマーチームが雲雀ヶ崎に公演に来るんだ」
「……パフォーマー?」
「芸をしてくれる人のことだよ」
メアはパフォーマーの芸なんて知らない。
天クルの仲間のひとりである姫榊こももが、夏祭りの際に舞った巫女神楽を観たことがあるくらいだ。
「そのチケットが言わば、メアの誕生日プレゼントなんだ。七夕イベントと称した公演だからな。こういうイベントって雲雀ヶ崎ではめずらしいし、せっかくだからメアと一緒に観にいきたいと思ってさ」洋はそこまで言ったあと、腕を伸ばしてメアの頭を撫でる。
彼の声が好きで、彼の手のぬくもりも好きなメアは、これで充分プレゼントになっている。
「公演は昼と夜の2部構成なんだけど、抽選だったから昼のチケットしか取れなくて。無理はさせたくないし、おまえが嫌なら……」
「嫌じゃない」メアは即答した。
「……いや、さっき、昼は疲れるって」
「疲れないから嫌じゃない」メアはまたまた即答した。
「死神は太陽なんかに負けないわ」メアはえっへんと胸を張った。
「だから誕生日パーティーも、昼でいい。みんなにもそう伝えて」
祝われることはもちろん嬉しいけれど、仲間たちによけいな気遣いはして欲しくない。
お姉さんを自称しているメアなので、それくらいの甲斐性は持っているつもりだった。
「ありがとう、メア」洋は苦笑しながら、もう一度メアの頭を撫でた。
「人間と、人間以外の存在が見ている世界は、たしかに違う。だけどさ、それがどんな世界だとしても、星が綺麗なのは変わらないんだよな」
メアは、はにかみながら、この愛しいぬくもりに身をゆだねる。
おかげでメアは、洋の言葉をすっかり聞き流していた。
「メア。太陽は、敵じゃない。太陽だって星のひとつだよ。だから……」
この言葉の続きもまた、メアは聞いていないのだった。
●1幕 〈ぽかぽかサイド〉
5月中旬、ライカスク学園の個別レッスン室。
「皆さん、こんにちはですー! ……あら? ワタシが最後ですか? 遅くなって申し訳ございません」カーチャが、この場に集まった皆の顔を見渡してから頭を下げた。
「それでどうした? 一昨日、打ち上げたばかりだろ」ペチカが本題を切り出した。
「いやー、みんなに大変なお知らせがあって……。マルクさんから連絡があったんだけど……」アキトは、マルクから言われた話をどう伝えようかと思いながら口を開ける。
「ヤポンのヒバリガサキという町から、ライヴの依頼が来たんだって。……行く? ちなみに観光地として有名らしいんだけど」
「ヤポン……!」ソフィーが目を輝かせる。
「どうしていきなりそんな話になったんだ?」
「えーっとね――」ペチカに聞かれ、かいつまんで、マルクから受けた説明をみんなにしていく。なんか色んな大人の思惑によって勝手に色々決まったこと。
「おい、そんな説明じゃわかんねーよ」ペチカが口を挟む。
「俺だってわからないよ……」マルクのざっくりとした説明では理解しきれなかった。
ライカスク学園と、雲雀ヶ崎の学園が姉妹校であり、そこで文化交流が、なんとか――
「ハラショーTVの人の話をしていたはずなのに、どうして突然学園が絡んでくるんですか?」クラリスが至極真っ当なことを言う。
「だからわからないって」
6月7日に現地入りして、9日に公演という行程になっているとのことなのだが……。
「それでそれで! ヒバリガサキってどんな町なの!?」ソフィーが高いテンションで尋ねてくる。
「さあ? 俺は聞いたことがなくて……」
「あ……。ごめんなさい……。嫌なこと思い出させちゃった……?」
申し訳なさそうに目線を逸らされる。
「い、いや、全然……!」
ヤポンのことが、なんでもアキトの地雷なわけではない。ユニゾン現象を起こしてから、時折ふたりはこうやって気まずくなっていた。
「ヒバリガサキは、海と運河の町で、ヤポンの中でも北に位置します。とはいえ、気候としてはラーシャよりも優しいようです」ジャンが代わりに答え始めた。
「海産物を始めとするご当地グルメに加え、ビールやワインといった地酒も豊富です。食べ歩きや飲み歩きも楽しめること請け合いですね」
「おお、いいじゃん! いいじゃん!」ペチカが真っ先に賛同した。
「決勝ライヴの日程にはまだ余裕があるし、むしろそのためのリハになりそうだしな! アタシは乗ったぜ!」
「ほかにも、運河公園という噴水がある広場では、ライヴも盛んのようですよ」
「ヤポンのライヴ、すっごい気になる! 見てみたーい!」ルーはもう行く気満々といった様子だ。
「オルゴール堂も有名だそうです。その繊細な音色は一聴の価値があることでしょう」
「まあ、それは造詣が深まりそうですね! ぜひ拝聴したいです!」カーチャもご機嫌な笑顔を浮かべる。
「さらには、ガラス細工。バレエのガラス絵は特に有名で、それを目にした子どもたちは総じてバレリーナを目指したくなるのだとか」
「……興味が出てきました」クラリスも控えめに賛成した。
「おまえ、なんでそんなに詳しいの?」
「フッ!」相変わらずのドヤ顔だ。
「ニンジャ! ニンジャはいますか!?」ソフィーがジャンに食ってかかるように尋ねた。
「……いません」
「あぅっ……!?」
「有名な町ですから、お好きな作品の聖地巡礼ができるか調べてみるのも、良いかもしれません」
「聖地、巡礼……」ソフィーの瞳が輝く。
「いや、どうして行く前提で話をする?」
「……オレも行きたい」
「随分と饒舌だなと思ったらそういうことか……」
「フッ!」まあでも、この機会がチームにとってプラスになるのは間違いない。
ペチカも言ったが、決勝ライヴに向けてのリハーサルにはもってこいなのだ。
予選ライヴでは、演目である「ポカポカのハッピーライヴ」をユニゾン現象で乗り切った。逆に言えば、練習通りのライヴを、本番ではまだまともにこなせていない。だからこそのチャンス。
「ただ、ひとつだけ懸念があってね……」アキトが、盛り上がっていたこの場に水を差す。
「依頼されている日程は6月なのに、ヒバリガサキで告知されている公演日は、なぜか7月になっているんだ」
「……アキトくん。ヤポンって、ラーシャと歴が1ヶ月ズレてるの?」ソフィーがきょとんとしながら尋ねてくる。
「いや、そんなわけないって」
「じゃあ……本当の公演日は7月なのかな?」
「もしそうだったら、決勝ライヴと被っちゃいますね」
「ああ、そういうことなんだ」アキトがクラリスの言葉にうなずく。
「ヤポン旅行か、マーブル鉄道旅行か、ということですね!」カーチャが楽しそうに言う。
「一応マルクに確認したんだけど、やはり6月で間違いないってことだった」
「ならアレじゃね? 主催者側の告知ミスとか」ペチカが肩をすくめた。
「そうかもしれませんね。そういった類いのヒューマンエラーは、世界的なコンクールですらあることですから」カーチャが、身に覚えがあるとでも言うようにうんうんとうなずいている。
「なんかよくわかんないけど、あたしたち、ヤポンでライヴできるんだよね!」
「ルー、話聞いてたか……?」
「んー?」
「あの、私もひとつ懸念があるんですけど。そのヒバリガサキというところに向かうための旅費はどうなるんでしょう?」クラリスが、浮かれていた皆とは違って現実的な質問をした。
「それはマルクさんが出してくれるみたい」
「すごい……」ソフィーがつぶやく。
「鉄道旅行ができるお金ももらってるのに……」クラリスは頭を押さえて、壁にもたれた。
「よーし! じゃあ、ヤポンにもライヴしにいこー!」
「はい!」ルーが両手を上げて、カーチャが同意した。
皆はもう、ヤポンでのライヴを楽しみにしているようだ。
(なら、腑に落ちないところがあったとしても、まずはライヴの成功を第一に考えるべきだよな……)
「ジャン。申し訳ないんだけど――」
「任せてくれ。完璧な旅程を組むよ」
「……ありがとう。じゃあまずは、マルクさんから公演のプログラムをもらってくれ」
「わかったよ」
「よーっし、じゃあ、ヤポン公演もがんばろー!」ルーが大声を出す。
「おー!」カーチャも嬉しそうに声を上げた。
他のみんなは笑いながらうなずいていた。